僕らはなぜ生きているか考えたことはあるか

 死を思う時、ふとそれは訪れる。
 私とは一体なんだったのかと。
無条件に愛されて生きてきた人たちには到底わからない、考えつくことのないことかもしれない。

しかし私は思うのだ。私はなんだったのかと。

親には愛されず、否定ばかり。少しでも自分を肯定しようとして始めたものすら否定され、自分でもこんな完成度でいいのかと自らの葛藤で己を苦しめる。

そして私は描くのを中断して今書くことにした。

実は書くことは初めてではない。昔は小説を書いていた。それが絵を描く友達に憧れ、真似するようになった。少しでも上手いとかかっこいいとか褒められるとそれだけで嬉しくなった。

しかし今はそうではない。描くことが当たり前になった。例え描くことが辛くても描くことが私を私として存在させる一因になった。私が私としてあるひとつになった。しかし美しく描かなければいけないものになった。私が描くがわたしではないものもあった。

私は存在しない。存在しないから悲しいのだ、なみだがでるのだ。
影は光がないと存在し得ない。

 親は自分が大事。例え子供が悲しくて泣いていてもティッシュの在庫の方が大事。犬の方が大事。
あなたにはわからないだろう。わかったとしてもすべてを共有することはできないだろう。

レクサプロをやめた。だからなのか涙もろい。

次はもっと情熱のある作り話が書きたい。
今は情熱がない。ただただかなしいのだ。